つい先日、ドラマの『ガリレオ』の最終回は『容疑者Xの献身』じゃないかと予測したところですが、ほんの数日でサクッと外れてしまいました。何でも、『容疑者Xの献身』は映画になるそうで……。
正直な所、映画にしたらしたで不安です。その理由はただ一つ。「映画は映画だけを見た人にも、話が分からないといけない」。そんなの当たり前じゃないかと言われそうですが、ここでよく考えてみて下さい。
もし、『容疑者Xの献身』をドラマの最終回に組み込んだとしたら、例えば、湯川の人となりを表すような描写はザックリ省いても問題なくなります。……まぁ、『容疑者Xの献身』はほぼ犯人視点なので、そんな描写もそうそう多くはないですが。となると逆に、脇役的ポジションになってしまう湯川に福山雅治ってのはどうなんだ、という問題も浮上するのですが、閑話休題。
話を戻しますと、映画化することにより、一旦ガリレオで得られる知識を全てクリアにして考えないといけないワケで。『容疑者Xの献身』がそれ一本で成り立つ長編である以上、作者の東野圭吾はそこまで考えて書いていることに疑いの余地はありませんが、それを映画化した場合には、もちろん大半を削る必要があるワケで。
つまりは、ドラマの最終回という形でなら、『容疑者Xの献身』の話中から削っても全く問題の発生しない箇所というものが存在した(あるいは、そういう箇所をこれからの話を使って作れた)のですが、映画化となると、話を削ることには必ずリスクが存在する。ノーリスクという尊いものを手放す結果になったワケです。
自分は滅多に映画を見に行かないので(それこそ、前回映画に行ったのは、劇場版『AIR』)、そういう意味でも残念なことになりそうです。もちろん、応援はしますが。何とか、綺麗に行くといいんですがね……。
正直な所、映画にしたらしたで不安です。その理由はただ一つ。「映画は映画だけを見た人にも、話が分からないといけない」。そんなの当たり前じゃないかと言われそうですが、ここでよく考えてみて下さい。
もし、『容疑者Xの献身』をドラマの最終回に組み込んだとしたら、例えば、湯川の人となりを表すような描写はザックリ省いても問題なくなります。……まぁ、『容疑者Xの献身』はほぼ犯人視点なので、そんな描写もそうそう多くはないですが。となると逆に、脇役的ポジションになってしまう湯川に福山雅治ってのはどうなんだ、という問題も浮上するのですが、閑話休題。
話を戻しますと、映画化することにより、一旦ガリレオで得られる知識を全てクリアにして考えないといけないワケで。『容疑者Xの献身』がそれ一本で成り立つ長編である以上、作者の東野圭吾はそこまで考えて書いていることに疑いの余地はありませんが、それを映画化した場合には、もちろん大半を削る必要があるワケで。
つまりは、ドラマの最終回という形でなら、『容疑者Xの献身』の話中から削っても全く問題の発生しない箇所というものが存在した(あるいは、そういう箇所をこれからの話を使って作れた)のですが、映画化となると、話を削ることには必ずリスクが存在する。ノーリスクという尊いものを手放す結果になったワケです。
自分は滅多に映画を見に行かないので(それこそ、前回映画に行ったのは、劇場版『AIR』)、そういう意味でも残念なことになりそうです。もちろん、応援はしますが。何とか、綺麗に行くといいんですがね……。
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